はじめまして、「えむ」と申します。
当ブログへの訪問、ありがとうございます。
私は現在、OLを辞めて、自宅でブログ・メルマガアフィリエイトというネットビジネスをしてご飯を食べています。
具体的には、ブログやメールマガジンを書くことで収入を得ています。
以下に、えむがブログ・メルマガアフィリエイトで稼ぐことができたお金の一部を、ご紹介しておきますね(^^)/
このブログでは、ブログやメールマガジン(メルマガ)という形で誰かの役に立つ文章を書くことで、自分の文章を自分だけの資産にする方法を、超がつくくらいの初心者さんにも伝わるように丁寧に説明しています。
例えば、
- WordPressというブログの構築方法
- ブログの記事を書くために必要なスキル
- メルマガの始め方
- メルマガの読者さんの集め方
といった情報ですね。
そうした情報をお伝えして実践してもらうことで、日々仕事で忙しいあなたに、ストレスフリーで自由な時間を得て、自分の心と体を労わってほしいと、強く思っています。
ここからは、
- このブログの運営者である「えむ」とはどんな人間なのか
- どうしてブログやメルマガでの情報発信を始めようと思ったのか
ということを、お伝えしようと思います。
特に何も考えてなかった学生時代
学生時代の私は、自分で何かを決めるということをほとんどしてこなかったように思います。
高校受験の際の志望校は、親や先生に提示された学校の中から何となく選んだし、受験した大学も、特にやりたいこと・学びたいことがあるわけでもなく、一人暮らしをしたいという願望もなかったので、「自宅から通えて無理なく入れるところ」という何とも消極的な理由で決めました。
そんな自分に疑問を持つことなく、大学3年生になったのです。
就活で迷走した大学生生活後半
大学3年生ともなると、気になり始めるのは「就活」。
その頃にはさすがに、「就活を人任せにするのはみっともない」くらいは考えるようになったので、「自分は何になりたいのか」「何がしたいのか」を考え始めました。
といっても、それまでこれといった趣味や特技があったわけではないので、「食べることが好きだから食品系の会社に就職したい」とか「英語が得意だから外資系の企業を狙ってる」なんてことが聞こえてくるたびに、「あぁ、自分にはそういうのが何にもないなぁ…」と凹んだものです。
まぁ、いつまでも凹んでてもしょうがないんで、自分の身近な人たちがどういう職業についているか、改めて見渡してみました。
まず、自分の父と伯父が学校の教員でした。
ちょうど、自分の所属していた学部には教員免許が取得できるコースがあったので、必要な単位を取り、教育実習を行って、免許の取得まではしました。
でも、教員採用試験は受けませんでした。
教育実習に行った段階で、「あ、これ無理だわ…」と思ったからです。
一応、実習を投げ出すのはヤバいとは思ったんで、かなり嫌々ながら、最後までこなしましたけどね。
で、次にどうしようかと考えたところ、私の伯母が市の職員だったんですね。
じゃあ、ってことで「公務員試験対策コース」なんてものに入りました。
始めてみて知ったんですけど、公務員試験って、けっこう幅広い教科を勉強しなきゃいけなくて、かなりの根気とやる気が必要になるものだったんですよ。
案の定、「親戚に公務員がいるから」なんて、ふわふわした動機で始めた勉強がうまくいくはずもなく。
試験はいくつか受けましたが、全敗でしたね!(もはや、笑うしかない!)
全部の試験結果が出終わったときには、すでに大学は卒業済みで、ほとんどの友人は、ちゃんと就職して社会人として始動していたんです。
のらりくらり生きてきた私も、このときばかりはさすがに、「みんなが普通にできていることができない自分って、ダメだなぁ…」と落ち込みました。
いろいろと未熟で失敗続きだった医療事務員時代
いよいよ焦って、どうしようかとあたふたしていた時、目に入ってきたのは「ユーキャン」のチラシ!
もう、その後はどうなるか想像がつきますよね?
短絡的にも、「資格を取れば、何とかなるかもしれない!」と思ったんです。
で、何の資格を取ろうかと考えた結果、「女性に人気だし、就職先(病院)がたくさんあるから食いっぱぐれがない」という理由で、「医療事務」をチョイスしました。
大きな段ボールに入った教材が届き、とりあえず勉強を始めます。
その後、派遣の医療事務員の募集を見つけ、「現在、資格取得の勉強中なんですけどいいですか?」とダメもとで連絡してみたら、「勤めながら勉強して資格取ってくれればいいよ~」というお返事が。
ラッキー! と思ってすぐに登録し、さっそく自宅近くの病院を紹介してもらいました。
そんなこんなで、何とか資格も取得し、医療事務員としてスタートしたんですが、自分自身の対人スキル・知識の未熟さから1つの病院で長続きせず、約2年間で3つの病院を渡り歩きました。
1つ目の診療所では受付全般をやりましたが、院長夫人とそりが合わなくて退職。
2つ目の総合病院では医療秘書をやりましたが、俺様な先生にふりまわされて精神科にかかるハメになり退職。
3つ目の総合病院では会計をやりましたが、同僚とうまくいかず退職。
一番きつかったのは、3つ目の職場でしたね。
年上の先輩ににらまれ、
- 伝達事項が伝えられない
- 休憩時間に一人だけのけ者にされる
- 質問をしても無視される
といった嫌がらせを受け、出勤が嫌で嫌でたまらなかったです。
疲れているから体は睡眠を欲しているはずなのに、「寝たらあっという間に明日になっちゃう…」という、今思えばかなり謎な恐怖心から、なかなか寝付くことができずにいました。
睡眠不足が続けば仕事でもミスが多くなり、またにらまれるという悪循環。
吐き気と戦いながら何とか勤めていたある日、病院からの派遣切りが決定しました。
それを受けて、「もう、医療事務はやめよう」と決め、別の職種を探すことにしたんです。
「あれ、おかしいな」という思いを抱え続けた編集部員時代
さて、新たに就職活動を始めた私ですが、就職情報誌に載っていた写真を見て、「あ、この学習参考書知ってる!」という理由だけで、学習参考書専門の出版社に応募しました。
おそらく、学力というよりは年齢(当時は20代半ば)で採用されたんだと思います。
で、任された仕事は、出版する原稿の入力・とりまとめ。
幸い、ある程度タイピングはできたので、それほど出だしで困ることはありませんでした。
やや特殊な業界だったので、用語や1年を通しての流れを覚えるのに時間はかかったけど、それも、周囲の指導のおかげで少しずつ慣れていきました。
医療事務時代と比べると、お給料も少しマシになり、自分に任される裁量が大きかったので、最初のうちは「この会社にずっと勤め続けよう!」と思っていました。
しかし、その思いは割と早く崩れ始めました(笑)
まず、お休みが少なく、残業もほぼサビ残扱い。
1年のうち、ほとんどが週1日休みでした。
(まぁ、もっとひどい会社なんて山ほどあるでしょうが、とりあえず、ここでは下は見ないことにします。)
仕事の持ち帰りもザラ、というより、「持ち帰ってやることが最初から勘定に入っているスケジュール」だったことを後々知りました。
次に、昇給がほぼない・ボーナスも寸志レベル。
「もらえるだけありがたく思え」ってことなのでしょう。
さらに、先ほど「自分に任される裁量が大きい」と述べましたが、それは「私しか内容を知らない、私1人がやる仕事」だったんです。
最初のうちは、「責任ある仕事を任せてもらえた」なんて能天気に喜んでたんですが、次第に「あれ、もし私が休んだらどうなるんだ?」ってことを考えるようになりました。
私が休んだら、他の誰も内容ややり方を知らないんで、原稿が完全にストップして、印刷できない、出荷できない、という状況になってしまうんです。
それに気づいたとき、ゾッとしました。
「私、休めないじゃん!!」
前もって休むのがわかっている時には、休む日の分の仕事を先に済ませてからでないと休めない。
体調不良などで突発的に休むことになっても、誰のフォローもなし。
復帰した直後から、どっちゃりとデスクに積まれた、休んだ日の分の仕事をこなすことからスタートするのです。
他の人に、少しでも私の仕事の内容ややり方をレクチャーしておこうと思っても、慢性的に人手不足な会社だったので、他の人もあれこれやることを抱えていて、それどころではなかったですね。
私自身も、他の人の仕事のレクチャーを受ける余裕なんてなかったですし。
そんな不満を抱えながらも、「前よりはマシだ…」と自分に言い聞かせながら、仕事を続けてました。
考えが変わる大きなきっかけ
「このままでいいのかな?」「でも、また就活するのもなぁ…」という思いを抱えながら勤めて数年たった頃、体に異変が起きました。
ある朝起きたら、何かのどに違和感があったんです。
ちょっと首を傾げながらリビングに行くと、母親が「その首、どうしたの!!」と慌てた感じで聞いてきました。
鏡で見てみると、のどにこぶし大くらいの腫れ物ができていたんです。
「これは絶対ヤバい!」と、病院に駆け込んで検査を受けました。
検査の結果、バセドウ病であることが判明!
これまで、一般的な病気(風邪や水ぼうそうなど)にしかかかったことがなかったので、親子ともどもパニックです!
当時、「女性は7の倍数、男性は8の倍数の年齢の時に体の変化が起こりやすい」なんていうCMが流れていたんで、「これ、ホントだったんだぁ…」と呆然としたことを今でも覚えてます。(当時、私は28歳でした。)
原因は実際のところ不明ですが、先生からは「ストレスが原因の可能性が高いかな~」と言われ、自分でも納得してしまいました。
思えば、前兆はあったんですよね。
特に仕事がキツイ時期になると、
- 手が激しく震えてペンが持てない
- 2階の事務所への階段をのぼるだけで息が切れる
- そんなに汗かきじゃなかったのに、異常に汗をかく
- 体重が約10㎏減る(←自分じゃ気づいてませんでした汗)
なんてことが起こってたんで。
(すべて、バセドウ病の人によくある症状だそうです。)
その後は、早期発見だったこともあり、通院および投薬治療は約2年で終了して、現在は寛解(症状が一時的に軽くなったり,消えたりした状態。再発の可能性は有)ということで、経過観察中です。
結果として重症化はしなかったし、命の危険があったわけではないけれど、自分の働き方や生き方を考え直すきっかけになりました。
「ネットビジネス」との出会い
やっと本題に入りますが、私がブログ・メルマガアフィリエイトというものに触れるきっかけとなったのは、先ほど挙げた「バセドウ病」を発症したことによる「気づき」でした。
「私、どうしてこんなにしんどい思いをしながらこの会社で働いているんだろう…」
「この会社でなくちゃいけない理由って、そういえばないよなぁ…」
って、ある日ふと思ったんですよね。
何が原因でバセドウ病を発病したかはわかってないんですが、ストレスも原因の1つだと言われたので、もう、体がその時の働き方を拒否してたんだと、今では思っています。
少ない休みの日は体力回復するのが精いっぱい、家族や友人とのんびり過ごす時間を取るなんて夢のまた夢、みたいな生活を続けていたから、肉体的にも精神的にも疲れていたんですね。
そういう自分の正直な思いに気づいてから、時間を見つけては「自分の心身を労わる時間が取れる、別の働き方はないかな~」と、あれこれ探しました。
そこで見つけたのがブログ・メルマガアフィリエイトというネットビジネスだったんです。
【自分の好きな場所やタイミングで、ブログやメルマガからの情報発信を行い、その中で読者に商品やサービスを紹介して購入を促す】という流れのビジネス。
このブログ・メルマガアフィリエイトで収益を上げられるようになれば、自分の働き方に疑問を感じながら会社に勤め続けることも、体調を崩すまでストレスをため込むこともしなくて済み、「完全に自由で自分の心と体を労わる時間」を持つことができるはず。
そうした思いからネットビジネスをやろうと志し、この世界に飛び込みました。
もちろん、不安は不安でしたよ?
出版社に勤めているとはいっても、記事を書く仕事をしていたわけではないので、「文章を書く」ということに関しては素人でした。
(読書感想文なんて、感想が1ミリもなく、あらすじばかりになるタイプでした汗)
それに、これまでに何度が述べてきましたけど、私自身に「このことなら誰にも負けない!」と自信を持てるものがなかったので、「こんな私で、誰かの役に立てる文章なんて書けるのかなぁ?」と、1人で勝手に凹んでいたこともありました。
でも、とにかくやってみました。
少しずつでもいいからやってみました。
その結果、少しずつネットビジネスで収入を得られるようになったので、約9年間勤めた出版社を退職しました。
現在は、ため込んでいたストレスから解放され、日々の過ごし方を完全に自分で自由に決めるという働き方・生き方を実現させています。
こんな、何も考えずにふわふわと生きてきて、特別なスキルや知識のなかった私でも、腹をくくってやってみたら、自力でお金を稼げるようになり、自分の心と体の調子を一番に考える生活を送れるようになったんです。
だから、あなたもきっとできます!
今、この文章を読んでいるあなたは、以前の私のように、毎日忙しく働くことに対して疑問や不安を持っているのかもしれません。もし、そうであるなら、私がこれまで歩んできた道のりをお伝えすることで、あなたの現状を変えるきっかけになればと思い、このブログを立ち上げました。
最後に
長々と語ってしまいました…(汗)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もし、えむのこうした考え方に少しでも共感できる部分がありましたら、ぜひ、記事を読んでいってください。
そして、役に立つ情報発信をすることで自分の文章を資産にし、自分自身が納得できる働き方・生き方をしていってください。